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・逆しまの慕情


0/


 彼氏が死んだ。
 通学の途中、雪道でスリップした車に轢かれて、あっさりと命を散らしてしまった。
 私は、学校を休んでお通夜に行った。お葬式にも行った。そうして出棺まで見届けた。
 それでも――私は未だに、たった一粒の涙も流せていなかった。
 自分でも、冷たい女だと思う。
 彼と一緒にいる時は、漫画みたいに胸がどきどきして、デートの前日なんかは最高に上機嫌になった。
 そんな時に故郷から電話なんてかかってこようものなら「なに、またレンと遊びに行くの? ごちそうさまー」なんてからかわれてしまう。
 なのに。
 死んでしまったら、ああそっかと軽々と容認してしまうんだ。
「ごめんね、廉太郎君」
 彼の使っていた通学路。彼の亡くなった直ぐ側の電柱の下。私はそこに手を合わす。
「こんな彼女で、ごめんね」
 うちに置いてある花束から、毎朝一本づつ抜いて持ってきている花を供えて。
 少なくとも、こうすれば。花が一本も無くなるまでは、彼のことを思い続けられるような気がしたからだ。



1/


 その頃の私は一見落ち着いているようで、実は物凄く不安定だったのかもしれない。
 いつ爆発するか知れない不発弾のような、奇妙な冷静さ。嵐の前の静寂という言葉がとてもよく似合う。
 周りも腫れ物を扱うような気分だったのだろう。恋人を亡くした私に、普段どおりを装って、余計な慰めをかけないでいてくれた。
 火の粉が降りかからないようにか、それとも本当に心配してくれていたのかはわからないけれど、それはとてもありがたいことだった。
 まあ、中には地雷原を悠々と歩いては、見事に爆発を回避した者もいたのだけれども。


 まだ人が集まるには時間が浅いせいか、朝の教室は閑散としていた。
 穏やかな冬の日照りが薄暗いなかに差し込んで、埃がうっすらと浮かび上がっている。
 私はクラスメイトに軽い挨拶をしながら、教室の端にある自分の席へと向かう。
 窓側の一列は、暖房の恩恵が一番顕著に与えられる特等席だ。暖房と言っても、オンボロでちょっと錆の入ったパネルヒーターだけど、まだまだ現役。防寒具を脱ぐと、冷えた体をほんのりと芯から温めてくれる。
 そうやって体が温まるのを待っていると、故郷が私を見つけてこちらに飛んできた。
「杉ちゃん、顔赤いよ? あたしが温めてあげようか」
 胸を誇らしげに反って手を大きく広げ、故郷は言う。
「……そりゃ赤くもなるわよ、外は寒いんだし。十二月の平均気温、何度だと思ってるの?」
「いやいや、そんな冷静にスルーしないで寂しいから」
「朝から元気ね、故郷」
 苦笑を浮かべる彼女――荻野故郷の頭をよしよしと軽くなでる。
 彼女とは、中学時代からの付き合いだ。
 アナクロな私とは違い、故郷は今をときめく現代っ子。肩に少し掛かる髪は校則に引っかからない程度に色を抜いているし、良く見れば、顔には薄く化粧が施されている。嫌味でなく、バランス良く纏まった容姿は賞賛の一言で、少し羨ましくもあった。いや、例え神様が私を故郷にしてやるなんて言ってきても、丁重にお断りするけど。
 その理由というのも――
「でもさ、人間ってもっとスキンシップとるべきだと思うんだよね」
「今度はいきなり何?」
「や、だって人間の体温って平熱が三十六度でしょ? だったら身体すり寄せてくっ付き合えば、夏場はクールビズに、冬場はウォームビズに大活躍ってわけよ!」
「クールビズってまさか、気温より体温の方が温度が低いからとか言うんじゃないでしょうね」
「大正解! ビシィッ!」
 気合の入った擬音を発しながらこちらを指で指してくる。
 ――その理由というのも、聞いての通り、少し頭がカワイソウなきらいがあるからで。
「ひどッ! 杉ちゃん、あたしのことそんな風に見てたの!?」
「あ、口に出てた? ついうっかり」
「出してたんでしょうがッ!」
 むう、と拗ねたように一つ唸って、まあいいやと故郷が言う。切り変えが早いのもこの子の美点だと思う。全くもって、カワイイ子なのだ。
「でも血色がいいのは良いことなのですよ。あたしなんて、朝のエネルギーまだ取ってないから血が回ってなくて」
「血流が悪いのは低血圧だからでしょう。それと、朝ごはんはちゃんと食べなさい。熱作れないと、凍え死んじゃうわよ」
 そんなことはないだろうけど、まあ、二食型の食生活が不健康なのは確かだし。それに、故郷なら冬眠とかしかねない。ノリでやっちゃいましたーとか言って、雪の中に埋もれている姿が目に浮かぶ。
「む、それはすっごい嫌かも。そういえば杉ちゃん、自炊してるんだよね? いいなあ、家庭的スキル持ってるってなんかあこがれちゃう」
「うちのおじいがご飯作れないからね。必要から身についただけじゃないかな。元々は私、面倒くさがり屋だし」
 私は、祖父との二人暮しをしている。この高校が前の家から遠かったので、祖父が住むこの街に越してきた。祖母が亡くなってから寂しがっていたおじいは、私が住むことをとても喜んでくれたし、住まわせてもらっている以上、三食ぐらいは作らなきゃバチが当たる。まあ、料理ができないからって数年以上コンビニ弁当で済ませていたおじいに腹が立った、というのもあるけど。
 そんなおじいも、おばあちゃんの葬式の時には、ちゃんと涙していたのだ。……私と違って。
 自嘲的なことを考えていたからだろう。
 眉間に皺を寄せていた私に、故郷はやけに明るい声で、
「杉ちゃん。ちょいと話があるんだけど、いいかい?」
「なあに、あまり期待しないで聞いてあげるわ」
「あら酷い。うちの部活で忘年会があってさ。よかったら来ない? つーか石川のヤロウが是が非でも連れて来いってうるさくてさー」
「吹奏楽部で? ……石川さんって誰だっけ」
 たまに、いや頻繁に練習を見学させてもらっているので、私は部員とも交流がある。マネージャーなんてあだ名が付くほど頻繁に顔を出しているけれど、石川なんて呼ばれている人は記憶に無い。いや、忘れてるだけか。
「へ? 石川宗司先輩だけど……もしかして、覚えてない? 訳ないよね、しょっちゅう会ってるし」
 もう一度頭の中から情報をさらう。いまいち顔が浮かばない。石川なんて珍しい名字でもないし。OBとしてたまに指導に来ていた内の一人だろうか。それにしても、しょっちゅう会っている? 誰だろう。
「あ、そっか。普段そう呼ばれないし……ま、覚えてないならいいよ。最近さ、杉ちゃんうちに顔出してなかったじゃない。みんなさ、やっぱり寂しいわけよ。音楽室の一画に陣取って、いるだけで存在感威圧感その他もろもろ放ちまくりの杉ちゃんがいないとなんかしまらないっていうかさぁ。そんでちょい誘ってみんかい荻野ぉとか言われちゃって……」
「ごめん。私、行けないや」
「……どうして?」
 故郷にしては珍しい、硬い笑顔で問い返してくる。
 長い付き合いだ。私の嘘なんて看破されているだろう。
 胸が強く締め付けられて、息苦しい。下手な嘘を付くというのは、思ったよりもずっと辛い。
「どうしてって、ほら、さ」
「あたしだって、レンに杉菜が一途だったってのはよく知ってる。だけどさ、あの子だっていつまでも杉菜が苦しんでるのは見たくないんじゃないかな」
 適当な理由をつけて振り切ろうとしたところに、割り込まれる。教室の空気が一気に冷え込んだ。レン、という単語に少なからず周囲の人間が反応する。それまで他愛もない話に興じていた者も、文庫本を読みふけっていた者も、こちらを意識しているのが手にとるように分かった。

 レン。笹川、廉太郎。
 今年の雪の降り始め、粉雪で滑った車に轢かれて、亡くなってしまった私の先輩。
 そして――私の、恋人だった人。

 私が苦しんでる? 確かに、そうかもしれない。
 好きだった人の死を悼めない。泣いて悲しむことができない。
 彼が亡くなったその日から、ずっと考えていた。悩まされてきた。私が一番、私を許せなかった。
 そんな人間は、苦しんで当然でしょう?
「ごめん故郷。私は、」
 その先は言えなかった。
 遮るように、担任が大きな音を立ててドアを開けたからだ。
 それを合図に、みんな自分の席へと向かっていく。
 話を途中で切られたためか、故郷は名残惜しそうに私を一瞥したけど、やがて周りにならった。
 私はやっぱり行けないよ、故郷。
 だって、あの中にはもう、廉太郎君はいないんだ。

 ◇

 昼休み。十二月の寒空の下、誰も居ない中庭で、私は一人花壇の淵に座って昼食をとっていた。
 この時間、購買は無法地帯と化す。私は芋洗いのような混雑が嫌いなのでお弁当派だ。
 天気は快晴。雲一つないお弁当日和。といってもやっぱり気温は低いわけで、冬の中庭は誰も来ない隠れスポットなのだった、はずなのだが。
「見ぃつけた」
 後ろから、よく知った声がかけられる。
「さがしたよ、杉菜」
 にこにこと笑顔を浮かべて、故郷は私の隣にちょこんと座る。一瞬、お尻に感じるレンガの冷たさにびっくりしたようだったけど、それでもゆっくりと腰を落ち着けた。
「ここ、ちょっと冷えない?」
「平気。寒いなら、校舎に入ればいいじゃない」
「んー、でも杉ちゃんが我慢してるなら、もうちょっと付き合う」
 言いながら、故郷は購買のメロンパンを取り出して、もくもく食べだした。
 朝の続きをするのが嫌で、わざわざ人の来ない中庭で食事を取っていたのに、これではまるで意味がない。体が凍えるのを耐えていたのも、なんだかバカみたいに思えてきた。
「それ、おじいさんの?」
 一瞬、何を聞かれたのか分からなかった。
身構えてたのに肩透かしを食らった気分。
 故郷の視線の先に、弁当の下に敷いていた茶色のハンカチがあったので、やっと質問を理解する。
「しっぶいねえ、そのランチマット」
「あ……うん。新しく買うのも勿体無いし、おじいのハンカチを使わせてもらってるの」
「なんというか、さすが杉ちゃんだなって色だね」
「なあに、私が地味だって言ってるの、故郷?」
「杉菜さんは派手すぎず地味すぎず、けれどやっぱり映えている素敵なお人ですよ」
「いやいや、わけわかんないから」
 思わず、笑いが漏れた。
「よかった。やっと杉菜が、笑ってくれた」
 少しはにかんだ笑顔で、故郷が笑いかけてくる。それで、心配してくれたのだと理解する。
 朝からなにをやってたんだろう。自分の都合で不機嫌だったのに、私は親友に当たってしまったんだ。
「おじいさん、元気?」
「相変わらず自由にやってるよ。最近じゃ将来は本屋を開きたいとか、また訳のわかんないこと言ってるし」
「若いなあ。元々は書家さんだったっけ?」
「空手の師範もやってるよ。文武両道なんだってさ」
「杉ちゃんも仕込まれてたんだよね」
「小学校ぐらいからちょくちょくね。だから、私にとっておじいは習字と空手のお師匠さん」
「杉ちゃんのノート、また借りようかなぁ。字が綺麗でさ、惚れ惚れするんだよね」
「見てるだけじゃなくて、ちゃんと写しなさいよ」
「あはは、了解でっす」
 やっぱり寒いのか、故郷は笑いながらもしきりに足を震わせている。
 私も、さっきから歯茎が痙攣して歯が鳴りそうなのを押し隠している。
 会話が途切れる。無言の中で思うのは、やっぱり朝のこと。きちんと断ろうと思ったけれど、先に口を開いていたのは故郷の方だった。
「やっぱりさ、あたしは杉菜が苦しんでるのは嫌なんだ。それが杉菜自身のせいであってもさ。何もしてあげられないあたしも、歯がゆくって苦しくなる」
「故郷……」
「あたしは、レンを忘れろって言ってるんじゃないよ。たださ、杉ちゃんには元気だして欲しいってだけ。もう部にはレンはいないけど、あそこにはあたしもいるし、みんなもいる。それじゃ、ダメかな?」
 にぱにぱ笑って、故郷は私の腕をとってくっ付いてきた。何も言わせないつもりか。
「あんたを心配してる人が周りに沢山いる。たまには肩肘張らずにさ、誰かに頼りなよ。あたしもみんなも、杉ちゃんの味方だから」
「……そっか。ありがと」
 組み付かれた腕に故郷の体温が伝わってくる。冬の冷たい外気なんか気にならないほど、暖かかった。
 くしゅん、と可愛い音をたてて、故郷がくしゃみをした。
「寒いでしょ? 私につきあってないで、校舎であったまったら?」
「やだ。杉菜がオーケーしてくれるまでここにいる」
 ……ほんと、しょうがないなぁ。
 どうしてか、私は昔からこの可愛い子に弱い。
 故郷は、真っ直ぐなんだ。変化球はなし。直球ど真ん中真っ向勝負。
 それは私にとって、相手にするのが苦手な人間だけれども。
 掛け値なしに真っ直ぐぶつかって来てくれるというのも、嬉しかったりするのだ。
「わかった、わかったよ。私も行くから。ほら、校舎入ろう? いいかげん私も寒い」
「あ、さっきは寒くないって言ったくせに」
「さっきはさっき、今は今。ほら、行こうよ。風邪引いたら、せっかくの忘年会にも出れないでしょ」
「あっはは、そうだね」
 二人して身を寄せ合いながら、暖房の効いた校舎へと戻っていく。
 忘年会、か。
 まぁ、そういうことになった。
 


2/
 
 
 おじいの晩御飯を用意して、忘年会の会場へと向かう。
 場所は学校から徒歩十分の喫茶店「レスペデーザ」。大体コンビニ程度の大きさで、吹奏楽部の御用達のお店である。外装は西洋の民家風で、お人形さんのお家という表現が私にはしっくりくる。
 入り口には「本日貸切」の札が掛かっていた。準備がいい。ここでお金の心配をしてしまうのは野暮だけど、やっぱり気になってしまうのが家計を預かる者の性なのだ。
 時刻は五時をちょっと過ぎたところ。手触りのよい木製のノブを回してドアを押し開ける。からんからん。アンティークなベルが鳴る。暖かい空気を頬で感じながら中へ入ると、らっしゃい! なんて、シックな店には似つかわしくない威勢の良い声で迎えられた。
「あれ、杉ちゃん」
 言うまでも無く、そんな場違いなことを叫ぶのは故郷だ。店のロゴが入った藍色のエプロンをして、パタパタと駆け寄ってくる。
 そう、いつしか部活帰りに吹奏楽部の面々がここでお茶するようになったのも、一重に彼女の努力の賜物である。店の雰囲気の良さもさるものながら、荻野故郷による地域限定実演コマーシャルによって、ここは部の溜まり場と化したのだ。
「もう始まっちゃってる?」
「それはまだ。何人か遅れてくるみたいだから。とりあえずは向こうに適当に座っててよ。何か飲み物出すけど、何がいい?」
「じゃ、ウーロン茶お願い」
 はいよー、と故郷はカウンターの向こうに回る。
 店の奥からは、香ばしい匂いとフライパンで何かを焼く音が聞こえてくる。接客は故郷にまかせて、マスターはバックヤードで頑張ってるようだ。
 さて腰でも落ち着けるかと上着を脱いで振り返ると、男女が数名、目をまん丸にしてこちらを見ていた。なんつーか、ありえないようなもんを見たって感じで。
「ど、どうしたんですか?」
 ちょっとビビリながら訊ねてみる。なんかやったか私。先輩後輩同学年、男女問わず全員纏めて黙らすほどのことやったのか私。や、まあ会うのは久しぶりなわけだし、あら意外ーって程度の驚きなら分かるけど、ちょっとこれは尋常じゃない。
「マネージャーさんが……」
「……女の子の服着てる」
 お互いしばらくフリーズ。イメージとしてはBGMに木魚の音。ぽくぽくぽく、ちーん。あれ、なんか微妙に失礼なこと言われてないか私。私って女でいいんだよね? 
「失礼な。そりゃあ、あたしが選んであげた服だもん。いつもみたいなオジサン趣味全開なもんじゃないわよぅ」
 故郷の声で止まっていた時間が再開する。サービスね、といいつつカウンターに置かれたウーロン茶を見て、私はもうちょいフリーズ続行。故郷さんよ、大ジョッキってなんですか。
「いや、いやいやいや普通にイケてるよ柊さん!」
「ホント、可愛い」
「でしょう。昨日、街まで一緒に買いに行ったのよ。いや楽しかったわ、杉ちゃんスタイルいいから着せ替え甲斐があってさー」
 私にとってはすんごい疲れた昨日の出来事を思い出して、少しブルー。マネキンってこんな気分なんだろうかとか考えたし。でもまあ、不評ではないのでそれはそれで報われたのかもしれない。
「……どうもです。そんでお久しぶりです、皆さん方」
 どうやら適当に座っているようなので、それに倣って近くにあったカウンター席に腰を下ろす。そういえばこの面子と顔を合わせるのは久しぶりだな、と見回すと、肝心な人物が居ないのに気がついた。
「故郷、そういえば部長ってまだなの?」
「もうすぐ来るんじゃないかな。ちょっと寄るところがあるって言ってたし。というかあの人こないと始まらないのよねぇ、と、ちょっとちょうだい」
「あ、私のウーロン茶」
 ゴクゴクと喉を鳴らして豪快に一気飲み。て、ちょっとどころか半分近く飲みやがった。四百ミリリットル強を一気飲みとくれば、それはもう腹が立つを通り越してすがすがしささえ感じてくる。どうせこんな量、すぐには飲みきれないし。
 からんからん。来客を知らすベルが鳴る。らっしゃーい。どこか間抜けな言い回し。
「みんな集まってるかあ」
 身長百八十を超える、ガタイのいい男が入ってくる。
 顔だけ見れば冴えないおっちゃんだけど、顔から下は筋肉で引き締まったゴリラみたいな体つき。
 いよーす、と手をあげて気が抜けた挨拶するこのデカブツこそ、うちの部長さんである。
「お、来たなマネージャー」
 部長は目ざとく私を見つけると、口を吊り上げて笑った。
「実際は違いますけどね」
「いいんだよ、俺らがそう思ってるだけで。よっし、んじゃあ始めるかあ」
 遅れたことに悪びれもせず、高らかにでもなんでもなく。のんびりとした声で、忘年会が始まった。

 ◇

 暑い。半ば自棄で騒ぎまくっておかげで、身体はすっかり火照ってしまった。ちょっと体を冷やしにいこう。店の外、入り口の横に白く塗ったお洒落なベンチがあったはず。休んだり、ぐるぐる回ってる頭を落ち着けるのには最適だ。
 腰をかけて、深呼吸。冬の冷たい空気が体の中に入り込んでくる。
 みんなと居ると楽しい。素の自分が出せるし、私を受け入れてくれる。けれど、そこにはもう一人居たはずで。それを思うと、どうにもやりきれない気分になる。
 耳障りな金属の軋む音。視線をやると、窓が開かれていた。そして、そこから顔を覗かせるフケ顔ゴリラが一匹。いや一人。
「よう、何やってんだ一人で」
「部長こそ。そういうのは先に自分が何をやってるのか言うんですよ」
「ねえだろんなルール、名乗り上げじゃねえんだから。……換気だ、換気」
「はあ」
「じゃなくて。ほら、俺が言ったんだから、次お前だろ」
「涼んでるだけですよ。見てわかりません?」
「……冷たいよな、お前って。最近は部活にも出てこねえし。心配してたんだぜ? これでもよ」
 部活に出るもなにも、何度も言うように私は部活に入ってはいない。クラシックは好きだけど、私の中であれは聞くものであって弾くものではない。私は観客で十分なのだ。お手伝いしてるのは無料で見物させてもらっているお礼である。
「笹川が原因か」
 息が詰まる。直球すぎて、無神経さに抗議する気になれない。なる余裕がない。
「俺にはお前の気持ちなんざ理解できないがな。いつまでも閉じこもってちゃ何も始まらんぞ」
「……始まらないって、どういう意味ですか」
「そのままの意味。いい結果なんて生まない。同情はいつまでも続かない。気づいたらお前一人なんてこともありえる。泥沼だよ、はっきり言って」
 苦いものでも食べたかのように、部長は顔が険しくなる。
「こんなこと言いたかねえがな。死んだ奴にすがりつくのもいい加減にしておけよ」
「勝手な、こと、言わないで下さい。部長に言われる筋合いなんて……ありません」
「自分のことばっかりでお前は分かってねえかもしれないがな、周りに迷惑かけてんだよ、その態度。よく考えろ、気ぃ使わせてねえか?」
 ――それ、は。確かに私は、ピリピリした緊張感を纏っていた。自分に嫌気が差して、勝手に不機嫌になった。それは、周りから見たら迷惑以外の何物でもないはずだ。クラスメイトだけじゃない。部活のみんなにも、おじいにも、そして故郷にとっても、私は扱いづらく映っただろう。
 ……だけど。だからといって。
「じゃあ、なんですか。廉太郎君のことはきっぱり忘れて、ニコニコ笑ってろって? それこそ、私にはできません」
「そうじゃねえよ。今のお前はうじうじしてるだけで、何もしてねえだろ。死んで欲しくなかったって? お前、もう死んじまった人間にとってみりゃあ理不尽に責められてるだけだ。奴だって望んだわけじゃなし、死んだ原因があいつにあるわけでもねえ。それなのに恋人に恨まれて、踏んだり蹴ったりだなオイ」
 吐き捨てるように部長は言う。
 怒られているのは私なのに、部長は辛そうな顔をする。
 怒りたいのは私なのに、部長の言っていることは正しくて、反論する余地もない。
 気づけば、とっくに体は冷えていた。
 風はない。けれど空気は凍っている。呼吸と一緒に取り込んだ冷気は、頭の中までクールダウンしてくれた。
 会話も途切れ、私も部長も無言のまま時間が過ぎていく。部長は言いたいことを言ったから。私は何も言い返せないから。
「あっれえ杉ちゃんに部長、なぁにやってんのー」
 盛大にベルを鳴らしドアを開ける、悩みとは無縁の女の子が一人。
「中入ろうよ杉ちゃん。一人じゃつまんないってぇ」
 故郷は私の腕を取って、しだれかかってくる。私の眼前には潤んだ瞳。真っ赤な顔。
「……荻野。お前、なんかおかしくないか?」
「ありゃ部長。おつかれさまーっす」
 ビシィッっと敬礼。よく見れば故郷は頭ぐらんぐらん揺らしている。重い重い。今度は抱きついてきやがった。
「ちょ、故郷。自分の体ぐらい自分で……」
 支えなさいよ、と両肩に手を置いて、なんとか故郷を引き剥がす。くはぁ、と故郷は変なため息つく。
 あれ、この臭いは。
「アルコール?」
 あぁ? と部長は不機嫌そうな声を上げる。
「荻野、お前、酒飲んだのか」
「いえいえ、ソフトドリンクも残り少なくなったんで、OBの皆さん方に用意したお酒の類……かもしれないものを、ちょびーっと頂いたような……気がしないでもないような?」
 飲んだんじゃん。
 部長が顔を引っ込める。ぬぁ、となんか形容のしづらい驚嘆の声。
 背骨が無くなったんじゃないかってぐらい力の抜けた故郷を抱き起こして、店内に戻る。
 と、中には騒ぎ疲れて眠りこける面々がいた。なんかお酒の空き瓶とか転がってるし。
 そんで隣には、ブチ切れるまで秒読み段階の部長が一人。
 故郷を下ろし、両手で耳を塞いで対ショック体勢。
 なんというか、そこら辺の取り仕切りに関しては厳しいモラリストなゴリラだった。
 
 ◇

 部長による一喝でお開きとなり、ただいま絶賛帰宅中。時刻は夜の九時ちょっと前で、まあ帰るには妥当な時間だろう。今頃になって、おじいはちゃんと夕飯を食べただろうかなんて心配になる。
 一日通していい天気だったからか、道に積もる雪は少し溶けてシャーベット状になっていた。カキ氷にスプーンを入れたような、小気味の良い音が足元から聞こえてくる。
 夜道は安心。なんていったって、お守り役を買って出てくれた親切な霊長類が付いてきて下さっている。ついでに、寝てしまった故郷をおんぶしてくれていた。
「なかなか楽しかったです。忘年会」
「まあ、全員集まったしな」
「全員……ですか?」
 部長の発言にちょっと違和感。いや顧問を除く部員は全員居たし、OBの人も来ていたけど。
 学校で故郷から誘われた時、聞きなれない名前を耳にしたような。確か、石なんちゃらさん。
「どうした、誰か居なかったか?」
「いえ、故郷が私を誘ったときにですね、知らない人の名前を言ったんですよ。石……なんとかって人」
「何、石って。名字? 名前?」
「名字だったと思いますけど」
 む、と口に手を当てて考え込む部長。いやまさか、そりゃねえよな、とかブツブツと呟いている。
「あの、部長。心当たりあります? 多分OBの方だと思うんですけど。うちの部員で石なんて名字ついている人、いませんし」
 というか普段そんな名を口にしていない。なので、普段の生活圏にはいない人物じゃなかろうか私は睨んでいる、のだが。
「もしかしてさ、それって石川宗司って奴だったりするか?」
「あ、そうですそうです。そんな名前でした」
「ふむ。ちょっと柊、俺の目を見てみろ」
「はい?」
 と、部長は片手で私の肩を掴み、目を覗き込んでくる。
「な、なんですかいきなり」
「嘘はついてねえみたいだな。うーん」
 片手で頭をぼりぼり掻いて、再び思案顔。フケ顔が更にフケて見える。
「……あの、もしかして私の知ってる人だったりします?」
「知らない訳がない」
 即答。そして不機嫌な顔。
 よもや、聞いてはいけない類のお話だったとか。
 結局、部長はずっと顔をゆがませたままで、石さんとやらが誰かは教えてくれなかった。
「あ、ここです、うち」
 ほう、と妙に感嘆した声を上げる部長。
「意外だな。柊はもっと、小綺麗なマンションに住んでるイメージがあったんだが」
 失礼な。築ウン十年の木造モルタル一軒家をなめないで頂きたい。鉄筋マンションなんかよりよっぽどいい。気合入ってそうなところとか。
「送ってくださってありがとうございました。故郷の家の場所、ホントにわかります?」
「おう。荻野は俺が責任もって家に帰してくるから安心しろ」
「はい、故郷に何かあったら、私が部長をとりに行きますので」
 ちなみに、とりに行くのは首である。
「……おっそろしいなぁ」
「では、さようなら」
 家の明かりはついている。きっとおじいは一人で寂しがっているだろうなとか思いつつ、玄関の引き戸に手をやると、
「あー、柊よ。ちょっといいか」
 とても言いにくそうに、部長は私に声をかけた。
 なんでしょう、と返す。
「店の外で話していたこと、自分でもよく考えておけよ」
「自分のことばかり考えるな、と?」
「ああ。俺はアレを取り消さないし、謝らない。お前が笹川の恋人だったように、俺だってアイツの親友だ。その親友がよりにもよって、大切な人からないがしろにされてるなんて、腹が立ってしょうがない」
「……そう、ですか」
「イヤに素直だな。もっとこう、怒鳴られるのも覚悟したんだが」
「多分、部長は正しいですから。私は一人でぐるぐる色んなこと考えちゃって。部長の言うとおり、廉太郎君がどうして死んでしまったのかとか、どうしようもないことばかり頭に浮かんでましたし。それが、私だけじゃなくて周りにも廉太郎君にも迷惑をかけてるのなんて思いもしませんでした」
 私はまだ私を許せてはいないけれど。それは心に留めておく。
 これは、私が解決するべき問題。私がわからなきゃいけないことだから。
 お休みといって、今度こそ部長は去っていった。
 唐突に、もしかしたら部長は、この話をするために忘年会を開いたんじゃないかなんて思ってしまう。
 ……あれ? そういえば部長の名前って、なんていったっけ。

 ◇
 
「おじい、ご飯食べてなかったの?」
 重い上着を部屋に置いて居間へ向かうと、食卓机の上には、まだ手のつけていない料理がそのままになっていた。白いご飯、たまねぎとじゃがいもの味噌汁、家の裏で取れた山菜の揚げ物、ごぼうとインゲンの卵とじ。私が出かける前にラップをかけて残しておいたもの。で、肝心の食べる人といえば、ごちそうを前にのんびりテレビなんか見てたりする。
「ああ、お帰り。楽しかったかい?」
「まあそれなりに。……お腹空いてなかったの?」
「いや、杉菜が帰ってきてから食べようと思って。ほら、お茶でも飲んで落ち着きなさい」
 ありがとう、とまだ湯気が立っている緑茶を貰う。
 おじいの顔は、少しだけお酒で赤らんでいた。
「ちょっとね、おばあちゃんと一杯やってたんだよ」
 テレビに視線を向けながら、穏やかにそんな言葉を口にする。
 見ると、手のつけられていない食卓には、白くて小さい、花瓶みたいな徳利があった。居間の隣。そこには、おばあちゃんの仏壇がある。
 そう、と答えて私も一緒にテレビに視線を送る。火曜日の九時過ぎ。一日の出来事をまとめたニュース番組が映っている。
「ご飯、温める? もう冷めちゃってるでしょう?」
「いやいい、いい。冷たくてもおいしいから。いただきます」
 律儀に顔の前で手を合わせてから、嬉しそうな顔して揚げたふきのとうに手をつける。もうしんなりしているだろうに。
「……おじいさ、やっぱりおばあちゃんが居なくなって、寂しい?」
 うん? とおじいは一瞬唸ってから、
「そりゃぁねえ。ずっと一緒にいた人が急に居なくなったんだから、寂しくないはずがないよ? 今は杉菜が一緒に居てくれるからそうでもないけど、おばあちゃんが居なくなったって事を自覚してからは、辛かったなあ」
「自覚、してから? してなかったときってあったの?」
「おばあちゃんが倒れてから、二、三ヶ月くらいの間かなぁ。その間は、どうしてもおばあちゃんがいなくなったなんて、信じられなかったんだ。おかしいよね、きちんとお葬式して、遺骨貰って、仏壇を構えてさ、それでもまだ、おばあちゃんが死んじゃったなんて思えなかったなんてねぇ。実は長い旅行に行っていて、いつかふらりと帰ってくるんじゃないかってばかり思ってたんだ」
 それは、今の私と。
「だけど、やっぱり帰ってくるはずがなくてねえ。当たり前だよね、数ヶ月も前に逝っちまったんだから」
「……それで、どうしたの?」
「さあ。今となっちゃもう忘れてしまったけど、些細な事で理解したんだろうね。おばあちゃんがもう二度と戻ってこないってわかってからは、泣き通しだったなあ。じじいが泣いてもどうにもならないしみっともないけど、涙があふれて止まらなかったんだ」
「おじいちゃん。笹川、廉太郎って覚えてる?」
「うん? ……ああ、杉菜が毎日花をあげている子だろう? 何度か顔は合わせているからいたから、覚えてるよ」
「私もね、彼が死んでから、まだ泣けないんだ。好きな人のために泣けないって、私はずっと悩んでた」
 私が死んだ方の立場にたったなら、きっと怒る。私はそんなに軽い存在だったのかって。
「杉菜、それはね、自分で見つけなきゃいけないことなんだ。まして、思っていた人のことなら尚更ね。自分が、何をすればいいのか。故人のために、しなきゃならないこととしてはならないこと。よく考えなさい」
「……私、見つけられるかな」
「大丈夫。杉菜は、優しい子だから、きっと気付く」
 下の方から、ずー、ずー、と鈍い音がする。携帯のバイブレーション。そういえば、マナーモードにしてるんだった。どこにあるのか探している間に、振動は収まった。ディスプレイを確認すると、『新着メール一件』の文字。
「友達からかい?」
「……みたい」
「いいよ、もう遅いし、年寄りは食器片付けたらすぐに寝るから。今日は疲れただろう? ゆっくりくつろぎなさい」
 ごちそうさま、とおじいは顔をしわくちゃにゆがませて笑いかける。お休みなさいと私も応えて、居間を後にした。
 二階へと続く、人一人がやっと通れるほどの窮屈な階段を上りながら考える。メールの相手、誰だろう。大方予想はつくけど、こういうときは少し夢とかみてみたい。ふと、廉太郎君の顔がよぎるけど、それはありえない。彼はもう、居ないのだ。暖房の無い冬の廊下はとにかく寒い。足を這いずる凍てつく寒さに渇を入れられながら、小走りでいっきに階段を駆け上がった。
 
 
 メールを送ってきたのは故郷だった。そのまま返信しようとして、ちょっと思いとどまる。いいや、電話しちゃえ。
 こちらに響くのはコール音。無機質で聞きなれた音が流れ込んでくる。一回、二回、三回目の途中でコールは途切れた。通話状態になる。
「もしもし、故郷? ちゃんと起きてる?」
 受話器の向こうでむにゃむにゃと何やら唸ってる。やっぱり起きぬけか。メールの文章、故郷にしてはやたら誤字が多かったし。
『杉ちゃん? ああはい、起きてる起きてる。部長の背中でよく寝たし。でも何で電話? 普通に返信してもよかったのに』
「いや、ちょっと故郷の声が聞きたくて」
 ちょい視線を逸らす。目のまえに故郷が居るわけじゃないので必要ないけど、なんとなく。
『嘘だね』
 訝しげに、探るような低い声。やっぱりバレちゃった。
 はあ、と故郷は大きなため息一つついて、
『杉ちゃん。文明の利器には慣れようよ。メール打つの苦手なのは分かるけど』
「あんな小さいボタンぽちぽちしてられるほど気が長くないのよ。しょっちゅう押し間違えるし、ちっちゃい文字の出し方わかんないし。変な文章送りつけるくらいなら、生声の方がいいでしょ」
 む、生声ってちょっとやらしい響き。
「ありがとね、故郷。あんたのおかげで、ちょっと元気でた」
『杉ちゃん、無理してない? あのゴリラ、杉ちゃんに酷いこと言ってなかった?』
「もしかして、聞いてたの?」
『ん、まあちょっとだけ』
 そっか。あれは気を利かせてくれてたんだ。部長の言ってた通り、私は自分で思っている以上に、周りに心配をかけているらしい。
 ……しかし、ゴリラか。
「そういえば部長のことゴリラって言い始めたの、故郷だったよね?」
『そうだよ。だってゴリラじゃん、アレ』
 筋骨隆々で、いっそのこと運動部に入った方がいいんじゃないかってぐらいの身体つき。しかしアレはアレで吹奏楽部に居なくてはならないキャラクターである。機材運ぶのとかに役に立つし。
「ゴリラさんにちょっとお説教されたのよ。いつまでもうじうじしてるなって」
『む。それにしては杉ちゃん、なんか怒ってないような。は、まさか嵐の三秒前とかだったり?』
「いいや。おかげで目が覚めたよ。確かに腹は立ったけどさ」
『いやいや、そんな失礼なヒゲは殴ってしかるべきだよ、杉ちゃん』
 力、入ってるなあ。
「夜道送ってもらったし、そこはまぁ、もういいかな」
『ふん、あのフケ顔に一発入れてやりたいくらいだけど、杉ちゃんがそういうならまあ許してあげようかな』
 これはこれで、仲のよい兄妹に見えなくもない。
 故郷も、部長を嫌っているわけじゃないみたいだし。
『杉ちゃん、忘年会楽しかった?』
「ええ、ありがと故郷。あんたのお陰だ」 
 そりゃ無理やり誘ったかいがありました、と故郷は満足そうに息をつく。
『――私はね、杉ちゃんが好きなんだ』
「はい?」
 なんだいきなり。声、裏返ったぞ。
『杉ちゃんはね、普段はクールビューティっていうの? なんか、カッコいい女の子って感じなのに、時々少女みたいに可愛くなっちゃう。杉ちゃんのそういうとこ、あたしはほんとにいいと思うんだ。あたしは杉ちゃんが大好きだから、やっぱり笑っていて欲しいんだ』
「……馬鹿ね。勘違いしちゃうじゃないの」
『あはは。でもまあ、杉ちゃん相手ならそういう関係もあたしはオッケーだけどね?』
「ありがと、考えとく」
 やっぱり電話にしたの正解。いつも緊張している私を、故郷の声は弛緩させてくれる。話しているだけで嬉しくて、つい浮かれてしまう。ほんとにありがと、故郷。私もあんたが大好きだ。
「あ、そういえば故郷、部長におんぶして家まで送ってもらってたでしょ。ちゃんとお礼言った?」
『う。家の前で目を覚ました瞬間びっくりして、掌打……らしきものを顎に入れちゃった……ような、そっからお互い一歩も譲らぬ攻防戦……のような?』
 だめじゃん。



3/


 忘年会の翌日。
 幹事が忘年会を土曜日に入れていたお陰で、学校はお休み。ほんと、故郷はこういうところしっかりしている。なんでも、遊ぶ日と休む日は別だそうで。
 隣町の道場へと向かうおじいを家から送り出すと、急に手持ち無沙汰になった。掃除は昨日、忘年会へ向かう前にしてしまったのであまり部屋は汚れていない。遊びに行くとしても、昨日の疲れもあるだろうし、故郷を誘うのは止めておくことにした。
 朝食の片付けをしながらどうやって過ごそうかと考えていると、ふと昨晩のおじいの言葉を思い出す。私が、見つけなきゃいけないこと。しなきゃいけないこと。
 私は笹川家に行こうと決めた。電話で確認をとると、廉太郎君の母、つつじさんは快く許可してくれた。午後から伺いますと言ったけど、暇だからすぐでもいいよと言われたので、早速出かける準備をする。天気は快晴。気温は二度。雪が溶けて固まった氷の上はとても滑りやすいので要注意。私は戸締りを確認すると、白いタートルネックのセーターの上に、おじいのお下がりであるお気に入りのジャンパーを着て外に出た。

「いらっしゃい。お線香、上げてくれるんでしょ?」
 つつじさんとの挨拶もそこそこに、仏間に通される。仏壇と、洋服箪笥以外は何も無い畳の部屋。素っ気無いからなのか、六畳半の部屋はさらに狭く見える。鼻の奥をくすぐる線香の香りを感じながら、家から持ってきた仏花をお供えする。買ってからしばらく時間が経っているせいで、桃色の小菊は少しばかり萎びていた。
 手を合わせながら考える。以前、ここに来たのはいつだっけ。それを考えるほど、久しくこの家を訪れていなかった。廉太郎君の居る、この家を。
「ありがとうね、あの子も喜ぶわ」
 居間に入ると、つつじさんはミカンを食べながらお茶を飲んでいた。もちろん日本の伝統家具、こたつの中に入りながらである。ほんとに暇だったらしい。ほい、とつつじさんが机の上の籠にどっさり盛ってあるミカンのひとつを渡してくれる。手の中で転がすと、冷たくて気持ちいい。手触りを楽しみながら、つつじさんの向かいに腰を下ろした。
「南天さんに聞いたんだけど。杉菜ちゃん、毎日事故のあった所に行ってお花供えてくれてるんだって?」
 南天とはおじいの名だ。まったくあのじじい、おしゃべりである。たぶん、町内会の集まりの時にでも言ったんだろう。
「遠慮しないで、家に来てくれてもよかったのに」
「そしたら、家事の手伝いさせられるじゃないですか」
 あはは、とつつじさんが快活に笑う。つつじさんは基本的にスローペースで面倒臭がりな人だ。お客さんをも人手に使う。というより、あまりのどんくささに見ているほうが手伝わざるを得ないのだ。水道管修理に来た人がついでに洗い物、なんてのはザラである。今も階上の方で木を打ちつける音がするし。まあ、ピザ配達員だろうが電気工事の人だろうが、つつじさんの術中にはまってしまった者には違いない。恐るべし、笹川つつじ。
「杉菜ちゃん、最近どう? もう大丈夫?」
 答えに詰まる。私は少し言いよどんで、聞き返すことにした。だってそんなこと、はっきり言えない。
「……つつじさん。つつじさんは、廉太郎君が居なくなって、どうでした?」
「そうねえ。やっぱり大切な一人息子が居なくなって寂しいけど、もう大分落ち着いたかな。……どうして?」
「私、まだ、廉太郎君が亡くなってから、一度も泣けないんです。私にとって大切な人だったのに、その人が居なくなっても涙ぐむこともできない。それで、私ずっと悩んでて」 
 少しの間があった。つつじさんの顔が見れない。怒られても仕方ないと思った。
 ぽつりと。そりゃ駄目ねえ、とつつじさんは言った。
「杉菜ちゃん、いい人見つかった?」
「はい?」
 いい人って、やっぱそういう人のことなんだろう。
 いないと答えると、つつじさんはため息一つついて、
「杉菜ちゃんも若いんだし人生これからなんだから、廉太郎のことは忘れて新しい彼氏作ったっていいのよ? あの子にずっとついてたって、いいことないんだから。よかったら、おばさんが誰か紹介してあげようか?」
「つつじさん、私はそんな……というか、誰ですか、誰かって」
「いやね。丁度今、廉太郎の同級生だった子が来てるのよ。。杉菜ちゃんと同じで廉太郎に会いに来てくれたんだけどね、力仕事してくれるっていうから、屋根の修理頼んでるの」
「ああ、だからですか。さっきからカンカンうるさい音がするの」
 ……じゃなくて。話が逸れてる。
「つつじさん、怒らないんですか?」
「怒るって、何でよ。……ああ、怒ってるか。あの馬鹿息子、不甲斐なさすぎる」
 むー、とつつじさんは頭を掻いて、
「気にすることはないよ、杉菜ちゃんが悪いんじゃない」
 と言った。
「杉菜ちゃんは自分のことを考えなさい。そしたら、きっと大丈夫」
「そう、ですかね」
「あなただって分かってるでしょう? このままでいちゃいけないって」
 それは、そうだ。私は昨日、動かないままではいないと決めたんだ。私が分からなきゃいけないこと。私がしなきゃいけないこと。その糸口を探すために、私はここにきたんだ。
「だったら、後は簡単。これからどうしようか、って考えればいい。あの子が死んでから、そう考えたことある?」
「……ない、です」
「やっぱりね。でないと、涙できないなんて事で悩むはずないもの。いい? 消極的になっちゃ駄目よ。前でも後ろでもいいから、ちゃんと進むの。それで悪い結果になっても、それは責めることじゃない。廉太郎のことをすっかり忘れるのもいいし、ずっと心に留めておきながら生きるのも一つの選択。だけどね、自分のこれからを決めずに先延ばしにするのだけは駄目。だって、そんなのはただの時間の無駄だから。わかった?」
 いつにない気迫で、つつじさんがまくしたてる。普段からは想像もできない迫力に、私は首を縦に振るしかない。
 つつじさんは私の答えに満足したのか、にいっと笑顔になって、
「それが分かっているなら大丈夫。以上、この話終わり!」
 ミカンの山が倒壊するほど強く机を両手で叩いて、その勢いでつつじさんは立ち上がった。
「さあさ、辛気臭い話は止めてお昼にしましょうか」
「え? そんな、悪いですよ」
「いいのいいの、年寄りの言うことに文句言わない。さってと、それじゃあ屋根の子も下りてきてもらわないと」
 いや、断ったのは遠慮してるんじゃなくて。って、つつじさん聞いてないし。
「宗司君! お昼食べるから降りてきなさい!」 
 宗司君? あれ、どっかで聞いたことあるかも。どこだっけ。
 盛大に階段を軋ませながら、二階から人が降りてきた。
「あれ、柊?」
 そうして、居間に入ってきたのは、
「……なにやってんですか、部長」
 泣く子も黙る強面ゴリラ。やけにトンカチが似合う、大工ルックの部長だった。



「部長って、石川宗司って名前だったんですね」
「……やっぱ本気だったか。昨日の帰りに言われた時は新手のイジメかと思った」
「そりゃ、みんな部長としか呼ばないし。故郷に誰だっけって聞いても別に覚えなくてもいいとか言ってたし」
 ああ、なるほど。だからちょっとニヤけてたのか。
「見ろよ、名簿とかよ。ああもう、全部荻野のせいだ。あの女、人の顔見るなりゴリラだフケ顔だとか言いやがって」
 心の中限定で私も言ってたりするけど、それは黙ってよう。
「いやすいません。どうも昔から、人の名前を覚えるのは苦手で」
 結局私が作らざるを得なくなったきつねうどんを食べてから、私達はお暇することにした。何しろ、つつじさんに麺類を作らせたら麺が全て伸びきってしまう。シチューとかなら得意そうなんだけどなあの人。じっくり煮込めるし。
 それで、私はまた道中を部長に送ってもらっている。まあ、家に帰っても何もすることがないのはお互いさまらしく、こうして散歩がてらにぶらぶらと遠回りしてるわけだけど。
「昨日、先輩に言われたこと、身に染みました」
 周りに目をやれば、みんな私の心配をしてくれている人ばかりで、申し訳なく思った。部活のみんな、おじい、つつじさんに故郷、そして部長。ホント申し訳なくてたまらない。
「……ん、まあ分かったんならいい。俺も勢いに任せていいすぎたし」
「私を忘年会に誘ってくれたのって、部長ですよね? 故郷が、是が非でも連れてこいって命令されたって言ってました」
「俺に言われないでも変わらなかったと思うがな。荻野は元々お前を誘うつもりだったみたいだし」
「でしょうね。あの子、何も考えないように見えて色々気を回してくれるから」
「大事にしとけよ。親友ってのは」
 親友か。確か部長と廉太郎君も、そうだったっけ。
「先輩と廉太郎君って、どんなお友達だったんですか?」
「んん? どんなってお前……どんなも何も。小学校から数えて十年ちょっとの長い付き合い」
 後はだな、と部長は空を見つめて目を細める。
「ああ、そうだ。笹川はさ、お前といると本当に楽しそうな顔をしてたんだ」
 部長はぽつりと。足を止めて、どこまでも澄んだ水色の空へと向かって呟いた。
「たまーに男同士、二人で遊びに行ったときもよ、話題はほとんどお前のことでさ。あいつ、普段は淡白なのに、お前の話をするときだけにこにこしながら話すんだよ。聞かされる側にとっちゃつまんねえのろけを心底嬉しそうにな」
 彼はいつも大人みたいに落ち着いていて、穏やかな人だった。
 そんな人が、私のことを嬉しそうに?
 頭の中に、廉太郎君のはにかんだ顔がよみがえる。私といるときによく見せてくれた、自然で優しい笑顔。それを見て、私はいつも満たされていた。幸せな気持ちになった。だけど。
 ――その彼はもういない。あの笑顔も、二度と見ることは叶わない。
「……大丈夫か?」
「あは、は。なんで、泣いてるんですかね、私。今まで、泣けなかったのに。廉太郎君のために、一度も、泣けなかった、のに」
 止まらない。涙があふれて止まらない。駄目だな、私。こんなところで泣いたら、部長にまた迷惑かけてしまうのに。
「おら気にすんな、いいから気の済むまで泣け」
 くしゃり、と頭を少し乱暴に撫でられる。
 口から、嗚咽が上がる。
 ねえ、廉太郎君、私、貴方をずっと思い続けてもいいかな。もう貴方はいないけど、私は貴方が確かに生きていたってことを、ずっとずっと覚えていたい。
 私は、やっぱり廉太郎君が好きだ。その気持ちだけは、昔も今も変わらない。
「決め、ました」
 これから私の進む道。それが前進になるか後退になるかはまだ分からないけど、とりあえず一つ、私は決めた。
 部長は黙って私の話を聞いていてくれる。何も言わずに、ただ隣で、私を支えるように立っている。


「私は――」


 私は歩を進めていく。同じ場所に留まることはもうしない。迷いに迷ってその場に立ち尽くすことなんてことはもう二度と。
 涙を手で押さえながら、喉をしゃくりあげながら言った言葉は、おそらく部長にもなんていっているかわからなかっただろう。なにしろ、私ですら口から出たのはただの音にしか聞こえなかった。それでも、部長は最後まで、私の声を聞いていてくれていた。そっかと一言だけ言って、そのまま側にいてくれた。
 十二月の終わり。私はようやく、彼のために涙した。笹川廉太郎が亡くなってから、もう一ヶ月が経とうとしていた。
 

 
 バイバイ、廉太郎くん。
 これから先、誰と付き合おうとも、何をしていようとも。
 あなたを一生、忘れない。



モドル